No.690 農作物を作るコミュニティー

私が家庭菜園を始めたことを書いた本稿に対して読者の方から、自分で野菜を作るなら、なぜ私の会社の顧客に対してもソフトウエアを買わずに自分で書くように言わないのか、というメールをいただいた。石油生産がピークに達したために安くて豊富なエネルギーの時代は終わるのだから、これからは誰もが自分の食料を自分で作るべきだというのであれば、コンピューターソフトウエアも会社から買うのではなく、自分でJavaやC言語を習得して書くように人々に伝えるべきだというのである。

私は自分に有利になることを広めようという気持ちはまったくないし、逆に商売に得になるからと建前だけを言うつもりもない。しかしカロリーで4割、穀物では3割にも満たない自給自足率の日本で、私や多くの人々が家庭菜園を始めたところで農業に従事する人々のライバルになり得るとは思わないし、私の作るわずかな野菜で私や家族が暮らしていけるとも思ってはいない。

日本をはじめ先進国の人々の生活が石油に大きく依存していることに反論をする人はいないだろう。それにもかかわらず、じりじりと石油の価格が上がっても暮らし向きが急激に変わることはないだろうと、多くの人が信じている。天然ガスや原子力発電、石炭、または新しい代替エネルギーが解決してくれると言わんばかりのように。

その一方で、来るべき日のために備えによって災害に生き残れるように準備をする、いわゆるサバイバリストなる人々がいることも事実である。地下シェルターを作り、食料を蓄え、そしてこの世の終わりに起きるであろう社会秩序の崩壊に備えて武器まで用意している人々である。

私は石油生産のピークがこの世の終わりのシナリオだとは思っていない。すべての食料を自分で作る計画はないし、自分でうまく作ることができる新鮮で無農薬の野菜を、楽しみながら作れればよいと思っている。コンピューターのソフトウエアについても同じで、顧客企業はほとんど自社でソフトを開発し、その上で、我が社のソフトウエアがより少ない費用でより早く、そのニーズを満たすのであれば購入してくれている。

減耗するエネルギー資源という視点からいうと、野菜の輸送には多くの資源が必要になるが、ソフトウエアはインターネット上で売買することも可能で、分業は経済的にペイするし、だからこそ米国がコンピューターソフトの開発をインドなどの海外で高度に教育を受けた人々にアウトソースしているのである。

日本の農業に従事する人の平均は五十代で、七十代以上の高齢の人々も多いと聞く。日本は好んで今のように多くの食料を輸入に頼るようになったわけではなく、敗戦国として米国の政策をそのまま受けいれたという経緯がある。これはイギリスがイギリスの製造業者のためにインドに対して無理やり衣料品その他をイギリスから輸入させ、インドの手工業に基づく綿工業を壊滅させたのと同じである。

私が減耗する石油資源への依存を考えるよう継続して提言しているのは、サバイバリストや資本主義の代わりに共産主義を求めているからではない。それら過激な行動に走ることを避けるためにも、小さなことからでもエネルギー消費の見直しを一人ひとりが心掛けてほしいということなのだ。ドイツ銀行やゴールドマンサックスなど、欧米の金融機関はリポートで顧客に石油の減耗を警告している。日本政府がクールビズと称して軽装化を奨励するのであれば、そのキャンペーンにあわせて石油資源の減耗を国民に伝えることもできたはずだ。

日本はそれでも、国民一人当たりの資源の消費量からみると米国の約半分しか使わない社会である。過去のオイルショックもさまざまな省エネ対策や新しい技術などでうまく切り抜けてきた。日本に三十余年住んできて、個人プレーよりも常にチームプレーを重視する人々に囲まれて仕事をし、生活をしてきた。エネルギー資源をほとんど輸入に頼っている日本は先進国のなかで最も石油の減耗に弱いかもしれない。しかし同時に、最もうまくその変化に順応することのできる国民でもあると私が信じているのはそのためである。

変化の兆しを人々が理解すれば、サバイバリストや共産主義の道を選ぶのではなく、または、市場原理主義者のようにあらゆる物や人に値段をつけ、人間の生きる「社会」を「市場」に置き換えてしまうのではなく、未使用の土地を利用して農作物を作るコミュニティーが形成され始める国が日本だと私は思っている。