No.711 イラクでは今も戦争続く

年末年始はふるさとで過ごす人々で帰省ラッシュとなるが、米国ではクリスマス前の11月第4木曜日に「感謝祭」と呼ばれる祝日があり、家族や親しい友人と過ごすために帰省ラッシュが全米で繰り広げられ、どこか日本のお正月を思わせる盛り上がりとなる。

イラクでは今も戦争続く

1620年11月、メイフラワー号に乗った清教徒がイギリスからアメリカ大陸(マサチューセッツ州プリムス)に渡ってきたが、そこで彼らを待ち受けていたのは厳しい冬だった。そんな彼らに食料を分け与え、カボチャやサツマイモの育て方を教えたのはアメリカ先住民族であった。アメリカ大陸は1492年にコロンブスが「発見」したと歴史の本には書いてあるかもしれない。しかし当然ながらそこには何万年も前からその地で暮らす人々がいた。その土地に生まれ自然と調和しながら生きてきたアメリカ先住民族は、当初自分たちの土地へ突然やってきた人々に敵意を持ったであろうが、新しい土地で食べるものにも事欠いていた白人たちの困窮をみかねて手を差し伸べたのだろう。

感謝祭は、先住民族から農作物の種をもらい作り方を習ったイギリス人たちが、初めての収穫物を料理して友人と神の恵みに感謝したのが始まりである。そしてこの最初の感謝祭には先住民族たちも招待された。まさかこの後、先住民族は白人に殺りくされ、自分たちの土地を奪われるとは夢にも思っていなかったことだろう。

私が米国で受けた学校教育では、アメリカ先住民文化についてほとんど教えられなかったため、その歴史や文化、彼らに対して白人がしてきたことを知ったのはごく最近のことである。新しくやってきた白人に武力によって殺され、土地を奪われ、保留地に閉じ込められた先住民族たちは米国政府の同化政策への服従を強制された。同化政策とは彼らから文化を奪うことであり、子供たちは家族から引き離され、国が作った寄宿学校で欧米の文化やキリスト教的価値観を押し付けられた。もちろん英語以外の民族の言葉は使用が禁じられた。米国がイギリスから独立した1776年、独立宣言は「すべての人間は平等につくられている」とうたったがその中に先住民族は含まれてはいなかったのである。

学校教育に加えてハリウッド映画が「正義の白人と野蛮なインディアン」という図式を喧伝し、ほとんどの人は今の米国の発展が、多くの先住民族の屍の上にあることは知らないし、野蛮な文化を終わらせたことが文明の勝利だと信じている人が今でもいることだろう。

先住民族が合衆国市民として認められたのは1924年、最初の感謝祭から300年以上経ってからだった。しかしその間に奪われた土地や言葉や文化は戻ることはなく、従って今でも北米において先住民族はさまざまな民族の中でも最下位に位置している。歴史書の多くは勝者によって書かれる。野蛮なインディアンの土地を奪略し大量虐殺をしようとも、白人にとってそれは文明化のための「進歩」であったという言葉に置き換えられてきた。

米国の国家の成り立ちそのものは、インディアンを殺害しその土地を奪ったことから始まっているという事実は今の米国を理解しやすい。

アメリカ最古の入植地はジェームスタウンであるがこれはイギリス国家が作ったのではなくイギリスの金融投機家の要請で作られたものだった。また白人が先住民族を大量殺害するための手段として使った戦術は、武力と天然痘の組み合わせであり、天然痘ウイルスを最初に生物兵器として使ったのはイギリス軍だったのである。

感謝祭とお正月から話はそれてしまったが、私が今回のコラムで書きたいことは平和な新年を迎える多くの日本の人に、今でもイラクでは戦争が続いているということを心に留めてほしいということだ。アメリカ先住民が亀の島と呼ぶ北米大陸にやってきた植民地主義の白人は、数世紀たった今でも先住民にしたのと同じような方法でイラク人に武力によって自分たちの価値観を押し付けている。

日本の古代からの自然神道の、自然とは調和するものであり人間が支配するものではないという考え方は、アメリカ先住民の自然観とよく似ていると思う。一方、キリスト教は、自然は人間のために作られたものであり、好き勝手に支配してよいという教えである。

かつて先住民の自然観など考えたこともなかった私が日本で暮らすうちにさまざまな真実を知ることになったのは、世界が大きく変化していることも関係していると思う。戦争や人種差別、社会の不正と暗い出来事は続くが絶望するのは早すぎる。新年に平和と感謝の祈りを一人でも多くの人が捧げれば、明日は昨日よりきっと良くなるはずだ。