No.867 ペットボトルの水

環境に配慮するようになってから、私は自分用の箸を持ち歩くようになった。

ペットボトルの水

自分ひとりが割り箸の使用を控えたからといってたいした貢献にはならないという人がいるが、そんなことは決してない。そうすることで環境問題に無関心だった知人が、箸を持ち歩くということを知ってくれたり、興味を持ってくれるだけでも進歩だと、私は思っている。

箸に加えて、昨年から私が持ち歩くようになったのは水筒である。石油減耗が話題になってから、石油を原料としているペットボトルはできるだけ利用しないようにしてきた。それでも仕事で移動をする時、特に長時間鉄道に乗る時など、のどが渇けばボトルの水を買うしかなかった。たしか以前は新幹線に飲料水が設置されていた記憶がある。経費節約か、または飲料水業界の圧力か、営利企業であるJRが飲料水を廃止したのはしかたないことだとは思うが残念だ。しかし資源や環境の面から、どうしてもボトル水は止めたいと思ったので思いついたのが水筒だった。

日本はほとんどの場所にコンビニや自動販売機があり、ペットボトルの飲料水を手軽に買うことができる。日本経済が失速し、生活が脅かされているという割には、多くの人があいかわらずお金を出してボトルの水を買っているのはそれが習慣になってしまったからだろうか。一度便利なことに慣れてしまうと、それが環境に負荷をかけることでも、もとに戻るのが難しいということかもしれない。

そんな中で、カナダのトロント市の市議会が、市役所からゴルフ場にいたるまで市の施設内でプラスチックボトル詰めの水の販売を2011年までに禁止することになったという記事が目についた。さらに、市の施設内に、新たに水飲み場を設置したり、古い水飲み場は補修して、人々が安全な飲料水を飲めるようにするという。なんと素晴らしい考えではないか。

さらにアメリカの友人から、“Flow”という映画があることを聞いた。21世紀最大の環境問題である「水」をテーマとしたドキュメンタリーで、昨年、海外の映画祭などで高い評価を得たという。この映画が訴えていることはまさにボトルの水を飲むのを止めることとつながる。

今世界ではペットボトル詰めの水が1,000億ドルを超す規模の商品市場となっている。しかしその一方で、ボトルの水どころか、清潔で安全な飲料水を飲めない人々が数多く存在する。水がなければ人は生きることはできない。不衛生な水を飲んだことで毎年500万人の人が死んでいるのだ。生命を左右するこの貴重な水が商品として一部の企業に所有され、その水で巨額の利益をあげている。その裏には、もちろん腐敗した政府や政治家の姿があるのはいうまでもない。

金融危機のなかで、国際石油資本3社が発表した2008年決算ではエクソンモービルは過去最高益を更新し、BP(英国石油)も増益を確保した。その石油をめぐり、イラクで、アフガニスタンで戦争がおきている。そして安全な水が手に入らない、または不衛生な水を飲んだことで、戦争による犠牲者以上の数の人が、毎年死んでいるのだ。

トロント市議会がボトル飲料水を禁止したのは、多くの人の草の根的な運動の結果であり、バンクーバーなど多くの市町村も同じような方向に動いている。少し面倒でも、私はこれからも水筒を持ち歩くつもりだ。