No.876 働きすぎと浪費の悪循環

1948年頃、アメリカ人の生活水準は高く、治安、教育、国民の健康といったどの基準をとっても他国を大きく引き離していた。それから60年がたち、アメリカ人労働者の生産性は当時の2倍以上になった。つまり、1948年の半分以下の労働時間で当時と同じ生産が可能ということであり、1日4時間労働、または年間6カ月働き半年休むという労働形態に移行することもできたであろう。

働きすぎと浪費の悪循環

しかし現実に、アメリカが向かったのは、働きすぎと浪費の悪循環の道であった。当時よりも長時間働き、当時の倍以上の消費をする生活である。これは今から15年以上も前、ハーバード大学のジュリエット・ショアーが著書『働きすぎのアメリカ人』で指摘したことだ。そしてその消費主義、物質主義の傾向は変わるどころか、ますます強まっている。

私は、景気後退に備えて、経営する会社の社員に向けて消費中毒を治すようにというメッセージを送った。もちろんこれは自戒も込めて書いたものである。暴落を予言するわけではないが、どのような経済状態になったとしても、アメリカ社会同様、消費主義になってしまった日本で、支出(消費)を減らせば、収入が減ってもそれなりに豊かな暮らしができると考えたからだ。

かつては純粋に実利的な目的だった買い物は、いまや一つのレジャーとなり、カタログやインターネットをとおして、家庭からも簡単にクレジットカードで買い物ができる。消費によって生活が改善された事実はもちろん否定しない。しかしこの60年の間に増大した消費によって、私たちはほんとうにより幸せになったのだろうか。消費をするために、長時間働き、ストレスに見舞われ、健康さえも蝕んでいるような状態に陥っている人が少なくないのではないか。

物質に対する人間の欲求は自然なものだ、という人がいる。しかし歴史を振り返ってみると消費への熱狂が人工的に作られたものであることは間違いない。商品を提供する側からの熱心な売り込み、宣伝広告によって、人々は常に足りないものにばかり目がいくようになった。そして技術の進歩を労働時間の短縮ではなく、消費の拡大、つまり企業の利益に結びつけたのである。

だからこそ、たとえ衣食住に困らなくても多くの人は現状に決して満足しない。消費主義のライフスタイルでは永遠に満足は訪れない。他者よりも優越感を感じるために、流行の服、より大きな車や家へと欲望が生まれるが、消費によって得られる満足は短時間しか有効ではないことが多く、消費者は薬物中毒者が薬物の刺激に麻痺していくように、次々と刺激を必要とする。一人当たりの所得が倍になっても、幸福は倍にならないのはそのためであろう。

人が満足を達成するには2つの方法がある。1つは所有物を増やすこと、もう1つは欲望を質素にすることである。アメリカ人にとって後者は理解しにくいことかもしれないが、「足るを知る」という言葉を知る日本人にはわかるのではないだろうか。

といいつつも私のメッセージを社員がどう受け止めたかは、わからない。しかし、物をたくさん持っている人よりも知恵のある人を尊敬し、競争よりも協力が当たり前になること。会社だけでなく、そんな社会になって欲しいという私の思いは伝わっていると信じている。