No.955 どうして政府を信じられるのか

福島原子力発電所の事故に関する報道について、日本で報じられていることと海外のニュースメディアの情報が当初から異なっていた。日本政府は事態を甘く予測し、あとになって海外メディアが報じた悲観的、または現実的な分析に訂正をするというパターンだ。

どうして政府を信じられるのか

これまで原子炉内の「燃料損傷の可能性」と言い続けてきた原子力安全保安院は、4月18日、ようやく燃料棒が「溶融」していたことを認めた。燃料が溶けるということは大量の放射性物質が漏れ出て、冷却水や原子炉内の蒸気が高濃度で汚染される大事故であり、海外のメディアは地震被災後に起きた水素爆発直後からこの溶融を指摘してきた。

悲観的発言としては、菅首相が福島原発付近は10年、20年間は住めないと言ったことも、なぜか即座に撤回された。いまの日本は、楽観的になり、チェルノブイリのわずか十分の一しか放射性物質は出ていないし、政府が安全と言っているのだから農家の人たちのためにも原発近くの野菜を食べ続けるのがよいことだ、そんな風潮にある。しかし現実は、遠くハワイの牛乳からもアメリカ政府の安全値を20倍以上超える放射線が検知されている。

繰り返しなされてきた「原発は安全」という宣伝によって、私たちはこの国を原発だらけにしてしまった。そして原発が爆発して放射性物質が放出されると「大丈夫、健康にはすぐに影響はない」と執拗に言われ、多くの人は目に見えない放射線に無関心になっている。健康に影響ないのであれば、なぜ政府は急に水道水の放射線基準を1リットル当たり10ベクレルから300ベクレルと30倍も引き上げたのか。野菜や乳製品の基準値も大幅に引き上げられたが、放射性物質濃度が増えても人の耐性が上がるわけではない。それらが体内で合算され、蓄積されたらどうなるのだろうか。

今回の原発事故は人類史上最悪の災厄となると思う。溶融によって大量の放射性物質が出て、原発の現場は人が立ち入れないほど高濃度に汚染され、これからも数カ月は放射能放出が続き、海洋にも流されて海の生態系が汚染される。それにもかかわらず人々は政府の「大丈夫、安心だ」という言葉を信じている。「原発は安全だ」と言っていた同じ人の言葉を、どうして信じ続けられるのか私にはわからない。放射能に「危険でないレベル」はない。ロシアンルーレットのように、数年後、数十年後に、放射能がもたらす疾病に苦しむ人が出てくることだけは間違いないのである。

福島原発の事故のあと、ドイツは計画されていた原子力発電所の閉鎖を加速することを決め、イタリアも国民の声を反映して新たな原子力発電所の建設計画を無期限に凍結した。これが民主主義というものだ。原発事故の補償は最終的に国の支援、つまり税金で行うと海江田経済産業大臣は言った。日本が民主主義国家ならさらなる原発事故を起こさないために、地震国の上で稼働している他の原発を今すぐ停止するよう、政府に要求するべきである。政府の嘘を信じるのではなく、たとえ政府が真実を言っていても疑うくらいの気持ちが、いまの我々には必要なのだ。