No. 1389 嘘の上に築かれた国-米国はいかにして豊かになったか(パート5d)

嘘の上に築かれた国-米国はいかにして豊かになったか(パート5d)

by Larry Romanoff

1933年米国金購入法

米国政府の興味深い特徴の1つは、外国人と米国市民を区別せず、誰でも平等に騙すことである。しかし、公平に見て、この独特な態度は、議会ではなくホワイトハウスとそれを支配する隠れた陰謀団に主に起因している。

もちろん企業が相手だと事情は異なり、米国企業はたとえ戦争が始まっても保護されるが、「一般市民」を構成する人々は無差別に恰好の的となる。その一例として、1933年にルーズベルト大統領は大統領令EO6102を施行し、米国市民が金を保有することを禁止した。これによりすべての国民は、金の地金、コイン、証明書を財務省に提出し、(紙の)ドルと交換することになった。基本的に米国のすべての金の供給が国有化されたのである。連邦準備制度理事会(FED)が米国の保有するすべての金を直接所有するようになるや否や、ドルは約65%切り下げられ、金の実質価格もそれに応じて上昇し、米国民は何十億ドルも騙し取られた。公式の説明は、大統領令はドルの切り下げから利益を得ようとする「蓄財者」を防ぐための措置であるとされた。しかし本当の目的、そして唯一の結果は、すべての国民から金をだまし取って価格を200%上昇させ、その分の富を国民から米国財務省(またはFED)に移転することだった。

しかし、EO6102は米国市民を騙しただけではない。外国人(外国の中央銀行を含む)も騙したのである。当時、米国内に存在するとして登録された、数十億ドルのFEDや米国の様々な銀行が保有していた金の約半分は、外国人、それも外国の中央銀行のものだった。しかし、米国政府とFEDの財政状態は不安定で、ドル切り下げへの懸念と期待から米国から金の流出が加速していた。FEDは瞬く間に米国通貨を金に交換するという約束を果たすのに十分な金準備ができなくなった。そこでルーズベルトは米国の金本位制への参加を停止し、金の価格を引き上げることで、事実上、ドルを約65%切り下げた。この動きは完全に政治的なもので、戦間期の金融不安から米国とドル(そしてホワイトハウスを支配していた銀行グループ)を守り、隔離するためのものだった。その結果、国際経済秩序が崩壊してカオスになる可能性は気にしていなかった。これが最初ではなく、最後でもないだろう。米国は特権的な財政的地位を利用して世界に経済的大混乱をもたらすことで国内の痛みを回避しようとしていたのである。しかしこれは計画の一部に過ぎず、もう一つの部分はすぐにやってきた。

1934年米国銀購入法

ボルチモアにあるジョンズ・ホプキンス大学の経済学教授であるスティーブ・ハンケは、Globe Asiaの2010年11月号に“中国を不安定にする米国の計画-通貨”と題する優れた記事を書いている。この記事はオンラインで読むことができ、一読の価値がある{19}

1934年8月9日、ルーズベルト大統領は「銀購入法」と呼ばれる6814号の大統領令を施行した{20}{20a}。これは基本的に2つのことが明記されていた。ひとつは、米国内のすべての銀を差し押さえること、もうひとつは、当時の市場価格のほぼ3倍の価格で銀を公開市場で購入するという大規模なプログラムだった。合理的に考えれば、この行動は奇妙なものだった。

ルーズベルトは、国内の銀生産者から圧力を受けているという偽りの口実でこの法律を施行した。ルーズベルトは各方面からの圧倒的な批判を押し切ってこの法律を施行し、財務省(またはFED)に、当時の市場価格45セントの3倍近い1オンスあたり1.29ドル以上の価格で銀を購入するよう指示した。こうして米国政府は米国にある銀を国有化したが、米国人から旧価格の0.45ドルで銀を購入することによって行われた。その後、財務省はより高い価格での銀の購入を申し出た。このようにして大恐慌のさなかに何十億ドルもの乏しい政府資金が吸い上げられたのである。国民は誰にもメリットのない政策のために莫大な代償を払った。銀の生産者には一時的にわずかな利益があったが産業全体では数千人しか雇用していなかったので、この大規模なプログラムは宣伝文句にかかわらず、銀生産者 のためのものではなかったことは確かである。

しかし、この銀購入政策の奇妙な点は他にもあった。この法案は主に財務省とFEDに、「外国から」ニューヨーク先物取引所の公開市場で銀を購入する権限を与えていた。しかし購入はなかった。購入はありえない。私たちは考えるべきだ。世界中の市場で0.45ドルで手に入る商品を1.29ドルで買うなんて、頭のおかしい人でもやらないだろう。ではこの新政策を後押ししていたのは何だったのか。

国内の銀の生産者を助けるという、明らかに捏造された無意味な話はさておいて、それは数年前から計画されていた中国への “援助 “だった。スティーブ・ハンケはこう述べている。

     中国は銀本位制を採用していた。銀の利益団体は、銀の価格が上昇すれば人民元の対米ドルレートの上昇をもたらし、中国人の購買力を高めて利益をもたらすと主張した。1932年に米国上院の特別委員会はこう報告している。「銀は彼らの富と購買力の尺度であり、準備金、銀行口座としての役割を果たしている。その富が我々の輸出品を購入することを可能にしている。」

この時まで中国は何百年も前から銀本位制を採用しており、世界で唯一、貴金属に完全に裏付けられた通貨であり強固で安定した経済基盤を築いてきた。中国が世界を襲った大恐慌を完全に逃れることができたのはこの理由からだった。米国の銀政策は、当然のことながら、何世紀にもわたるこの安定性に壊滅的な打撃を与えた。それは米国が外国の銀を一般市場で購入するのではなく、シティバンク、モルガン、チェースなどの米銀を通じて中国で購入していたからである。これらの米国の代理店は、中国人の銀に市場価格の3倍を提示した。その結果これらの銀行に銀が大量に流入し、それが米国に送られた。

最初の影響はもちろん米ドルと中国の通貨の為替レートの暴落である。銀価格の高騰で確かに輸入品は安くなったが、中国の輸出は完全に崩壊し、GDPはほぼ瞬間的に約25%も急落した。そして二番目にもたらされたのは米国の銀行に集まった銀の洪水が直ちに中国から流出して中国の通貨の銀本位制の裏付けを破壊し、中国の金融システムを破壊し、経済を混乱に陥れた。大規模なデフレが発生し、農業は壊滅的な打撃を受け、何百万人もの農夫や農民が突然貧困に陥った。さらに悪いことにほとんどの企業が銀を担保にした負債を抱えており、それを3倍の価格で返済しなければならなくなった。もちろんそのような負債を返済するだけのキャッシュフローがある企業はなく、数え切れないほどの数の企業が倒産し、雇用市場は崩壊していった。中国の金融システム全体も崩壊の危機に瀕し、その結果中国は突然、世界大恐慌の真っ只中に投げ出され、100年以上にわたって欧米に略奪されてきた国家を再建するための苦しい努力が水の泡となったのである。この時点で、中国は銀本位制をやめて紙幣を採用するしかなかった。

中国は銀に対して厳しい輸出規制を行おうとした。しかしほとんど成功しなかった。なぜなら銀の大部分は中国の輸出規制を受けない米国の銀行(シティバンク、J.P.モルガン、チェース)を通じて中国から密輸されたからだ。また軍艦を備えた米軍の手助けにより、中国から簡単に銀を持ち出すことができたのである。

ハンケはこう記している。

   中国は、米国の銀政策による経済的苦境からの脱却を目指して、米国財務省の銀購入プログラムの変更を求めた。しかし訴えは聞き入れられなかった。何度も回避的な返答をしてきた後、ルーズベルト政権は1934年10月12日にようやく「米国議会が定めた政策を遂行しているに過ぎない」との見解を示した。ワシントンの宣伝通りにはいかなかった。しかし、「計画」通りには動いた。銀のドル建て価格が高騰すると、人民元はドルに対して高くなった。その結果、中国は世界恐慌の渦中に放り込まれてしまった。

ある思慮深い著者はこう書いている。

     5,000人の銀生産者の幸せを優先し、米国民や何もしていない4億5,000万人の中国人の不幸を犠牲にするとは、なんという経済的な愚行、そして政治家としての資質に欠けているのだろうか。言うまでもなく、この銀購入法案は経済的に悪だった。しかし、これは政治的にも悪だった。この法案がもたらしたダメージは、経済の領域をはるかに超えていた。それは米中関係にも波及した。

賞賛に値する感想だが、それでもかなり甘い。

では、誰が得をしたのか?米国の銀行とホワイトハウスと世界経済を支配するヨーロッパの銀行家たちだ。中国の経済は成長し、銀行家が抑えきれないほどの力をつけてきていたので、帝国と農民の所得格差を維持するために何かをしなければならなかった。最大の効果 は中国の銀の通貨を永久に破壊し、中国の経済発展を20年ほど遅らせたことだ。米国の銀生産者は一時的に利益を得たが、米国経済を立てなおす代わりに米国政府が何十億ドルものお金を使って中国経済を崩壊させたことで、米国民は大きな損失を被り、おそらくこの政策により恐慌が何年も延長された。唯一良かったことはこの大失敗により蒋介石と、米国が支援する国民党政府に対する国民の信頼が失われ、毛沢東が中国を支配して外国人を追い出す道が開かれたことである。

今日でも 米国の歴史や経済の教科書では、「銀購入法は、主に米国内の銀生産者のための商品支援プログラムを目的としていたが…」と始まっているのを見ると痛ましい気持ちになる。

これにさらに文脈を加えると、この時期、蒋介石の国民党政府はまだ中国を支配しており、米国政府と軍の強力な支援を受けていた。そして米国政府が 中国経済を外から破壊しようとしたのに対し蒋介石を助け、内部から中国を破壊したのが、米国で教育を受け、米国に忠実な宋子文だった。正直なところ蒋介石が経済やその他のことをよく理解していたとは思えない。しかし宋は優秀だった。彼の指導で蒋はすぐに中国のすべての銀行を国有化し、政府をほとんど借金で運営して経済を破綻させた。1928年に米国のFEDを参考にした外資系の中国中央銀行「中華民国国家銀行」を設立したのも宋だった。また宋は米国の銀購入計画に対応できず、紙幣を採用した。そしてすべての中国人に蒋の新しい中央銀行に銀を引き渡すことを強要した。都合のよいことにこの銀行は銀の輸出規制から免除されていた。蒋も宋も、自国の銀を米国に輸出することで米国の中国政策に協力していたと結論づけられる。蒋政権の破滅を決定づけたのはこのパートナーシップであり、その過程で中国はほぼ壊滅した。しかしそのおかげで、毛沢東は圧倒的な支持を得て国の支配権を(主に)米国から奪い取り、中国人民の手に取り戻す道を開いたのである。

さらに付け加えると、宋は何が起こっているかを正確に理解するだけの才能があり、その気になれば阻止することができたはずだ。私は宋を十分に研究したわけではないが、彼は本質的に米国のエージェントだったのではないかと思う。確かに彼は、紙の不換紙幣の採用や収入の代わりにお金を印刷することに頼った破産した国立銀行を蒋に助言するという自分の行動の結果を理解しないほど愚かではなかったはずだ。蒋の国民党政府は通貨を大量に印刷したため貨幣価値が1,000倍以上になり、宋の監視下で壊滅的なハイパーインフレが起こった。それはあまりにもひどく、政府の通貨印刷機では必要なペースを維持することができず、中国の通貨はイギリスで印刷され、米軍のC-47機でヒマラヤを越えて中国に運ばれた。

言っておくが米国は2005年以降、同じようなことを試みた。10年間にわたり、ほとんど圧倒的な量のメディアの雑音と政治的圧力によって、「中国の通貨は少なくとも25%から40%過小評価されている」という詐欺的な根拠に基づいて人民元の大幅な再評価を強要した。もし中国がこの圧力に応じていたら中国はまたしても深刻な不況のどん底に落ちていただろう。そしてそれが米国の計画だった。

Notes:

{19} https://www.cato.org/publications/commentary/americas-plan-destabilize-china

{20} https://en.wikipedia.org/wiki/Executive_Order_6814#:~:text=On%20August%209%2C%201934%2C%20U.S.,the%20United%20States%20for%20Coinage.

{20a} file:///C:/Users/Lu%C3%ADsa/Downloads/Executive%20Order%206814%20Required%20Turning%20in%20of%20Silver%20Bullion%20to%20the%20U.pdf

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