No. 2068 戦時下の生活 – ドンバスの旅

Life During Wartime – On the Road in Donbas

by Pepe Escobar

ペペ・エスコバルがドンバスへ旅に出かけ、折れることのない回復力を示す地元の人々との数々の直接の出会いについて彼の考えを語る。

あなたは戦争によって名前を与えられる:
   ニックネームではなくコールサインだ。
    ここには高級車もiPadもないが
    APCとMANPADSはある。
    ソーシャル・メディアはとうに使えなくなり
   「Z」のついた子供が書いた絵が頭に浮かぶ。
    「いいね!」や「サムズアップ」は塵のように価値が薄れるが
    信頼する人々からの祈りは尊ばれる。
    我慢しろ、兵士よ、兄弟よ、友よ
    敵意は終わりを告げる。
    戦争はその死を止めることができず
    悲しみと苦しみは平和に変わる。
    平穏な日常に戻る
    あなたの心に刻まれたコールサインとともに。
    戦争から、小さな記念として:
    遠くにあるけど、永遠に近くに。
    – Inna Kucherova, “Call Sign, in A Letter to a Soldier”, published December 2022

ドンバスの田舎の冷たい雨の降る湿った朝、ここはウロジャイノエ方面に近い秘密の場所。何の変哲もない田舎の一軒家は霧の中にあり、敵のドローンの動きを防いでくれる。

軍の神父であるイゴール神父は、米国とロシアの代理戦争の前線に向かう準備のできている大天使ガブリエル大隊に所属する地元の志願兵たちに祝福を与えている。大隊の指揮官はドネツク人民共和国(DPR)のロシア正教会部隊の最高位の一人である。

狭い部屋の隅に小さな祠が設けられ、イコンが飾られている。ろうそくが灯され、3人の兵士が中央にイエスのイコンが描かれた赤い旗を持っている。祈りとささやかな説教の後、イゴール神父がそれぞれの兵士を祝福する。

「いのちの道」の脇にある手作りの慰霊碑でウクライナ砲撃の犠牲となった子供たちに敬意を表する

とても名誉なことだ。この写真は今、ドンバスのドミトリー・ドンスコイ正教会大隊の本部(HQ)の壁に飾られている。

ドネツクの非公開の場所で、神風ドローンと手作り地雷除去ローバーのスペシャリストたちと。

これは、ケルソンから始まり、ザポロージエをへて数多くのドネツク人民共和国の前線まで続く巡回イコンロードショーのようなものの一場面だ。私の親切なホスト、アンドレイ・アファナシエフ(スパス・チャンネルの軍事特派員)が案内してくれている。そしてその後ドネツクで、大天使ミカエル大隊の勇敢な戦士で、コードネームが「パイロット」と呼ばれる非常に優れた若者が加わった。

ドンバスでは28から30の正教徒大隊が戦っている。これがロシア正教の力だ。彼らの働きを見ることは、本質を理解することだ。ロシアの魂は、文明の核となる価値を守るためならどんな犠牲もいとわない。ロシアの歴史を通して、共同体を守るために自分の命を犠牲にするのは個人であり、その逆はない。レニングラード包囲戦で生き残った人たち、あるいは死んでいった人たちは、その数え切れない例のひとつにすぎない。

だから正教会の大隊は私の守護天使だった。ノボロシヤに戻り、古い「ルールに基づく」世界秩序が死に絶えた豊かな黒土を再訪した。

「いのちの道(Road of Life)」の生きている矛盾

キエフのマイダンから10年近くが経ち、ドネツクに到着して最初に気付くのは絶え間なく鳴り響く大音響だ。入ってくる音、そしてほとんどが放出される音だ。長くて暗い時期の後、民間人への終わりのない砲撃(これは西側諸国からは見えない)、そして特別軍事作戦(SMO)の開始から2年近くが経過した今も、ここは戦争の街だ。依然として前線の背後の3つの防衛線に沿って脆弱な状態にある。

「いのちの道」はドネツクにおける壮大な戦争の誤称のひとつである。「道」とは、軍用車両が事実上ノンストップで往復する暗くてぬかるんだ泥沼の婉曲表現である。「いのち」は実際にドンバス軍が毎週ゴルニャク地区で地元の人々に食料と人道的援助を提供しているためである。

「いのちの道」の中心はスビャト・ブラゴヴェシェンスキー寺院でヴィクトール神父が世話をしているが、私の訪問時には神父は体の数カ所を榴散弾で損傷したためリハビリで不在だった。私はイェレナに案内され、崇高なイコンが飾られたすばらしくきれいな寺院を見学した。イコンの中には1259年にロシアの最高統治者となり、キエフ、ウラジーミル、ノヴゴロドの君主となったアレクサンドル・ネフスキー王子も含まれている。ゴルニャックは、絶え間なく降り続く雨の下、水道も電気もなく黒い泥の洪水である。住民は毎日、食料品を買うために少なくとも2キロは歩かなければならない。

イェレナ。ドネツクの「いのちの道」にあるミカエル神父の寺院の管理人

ミカエル神父の寺院にあるアレクサンドル・ネフスキーのイコン

奥の部屋で、 スヴェトラーナは、毎週日曜日の典礼後に配られる食料品のミニパッケージを丁寧に並べている。私は、毎週日曜日にこの寺院に通い近所を離れることなど夢にも思わないという86歳のマザー・ペラゲヤに会った。

スヴェトラーナは、ドネツク人民共和国の軍からの寄付をもとに、最前線に近い民間人に食料パッケージを手配している

ドネツクの「いのちの道」にあるミカエル神父の寺院のマザー・ペラゲヤ(86歳)

ゴルニャックは第三防衛線にある。ドネツクのどこでもそうだが、大音響は入るのも出るのも、ほぼノンストップだ。さらに500メートルほど道なりに進み、右に曲がれば、あと数日、長ければ数週間で陥落するかもしれないアヴデエフカまであと5キロだ。

ゴルニャックの入り口に伝説のドンバスActiv化学工場がある。現在は操業していない。この工場は実際にクレムリン上空に輝く赤い星を製造していた。この特殊なガス技術は再現されることはなかった。いのちの道の脇道には、地元住民がウクライナ軍の砲撃で犠牲になった子供たちを祀るために即席の祭壇をたてた。いつかこれは終わる。DPR軍がアヴデエフカを完全に制圧する日に。

ドネツクの「いのちの道」入り口にあるドンバスActiv化学工場

「マリウポルはロシア」

旅する司祭団は大天使ガブリエル大隊の拠点を出て、ウグルダル方面で戦っているドミトリー・ドンスコイ正統派大隊とのガレージでの会議に向かう。そこで私はトロヤという、大隊の医療担当である若い女性に会った。彼女はロシアの地区で副官として快適に働いていたが、自ら志願してここにきたのである。

軍の狭い宿舎では、猫と子猫がマスコットとして君臨し、鉄製ストーブのすぐそばという部屋の中で最高の場所を選んでいた。 ニコルスコエ方面で戦う、テッサロニキの聖ディミトリにちなんで名づけられたディミトリ・ザルンスキー大隊の戦士たちを祝福する時間だ。

儀式を行うごとに、その儀式の純粋さ、詠唱の美しさ、そして十代から六十代まであらゆる年齢層のボランティアの重々しい表情に心を打たれずにはいられない。深い感動を覚える。これは多くの側面において、西アジアで戦うイスラムの「抵抗の枢軸」に相当する、スラブの対応策だ。これは私が別の文脈で「同胞」を支援するイエメンのフーシ派を指す際に使用したような、アサビーヤ(共同体精神)の一つの形態だ。

マリウポリ。左は破壊され、右は再建

「マリウポルはロシア」。左が港

マリウポルの建物

そうなのだ。ドンバスの田舎で、戦時下で生活する人々と交わっていると、不可解で広大で、果てしない驚きに満ちた何か広大なものを感じる。それは絶え間ない驚異に満ちたもので、繰り返し鳴り響く大きな爆音を静寂に包みこむことで、タオに触れるかのような感覚だ。ロシア語にはもちろんそれを表す言葉がある: загадка、およその訳としては「謎」あるいは「ミステリー」だ。

https://twitter.com/i/status/1757290508534079859

私はドネツクの田舎を離れ、マリウポリに向かった。そこで、都市中心部から港沿いの海岸線、そしてアゾフスタル鉄鋼製造所まで、2022年春にネオナチのアゾフ大隊*によって行われた徹底的な破壊を思い出すと、たとえどころのない衝撃に襲われた。

* アゾフ大隊はロシアで禁じられているテロ組織である。

アゾフ大隊によってほぼ破壊された劇場、正確にはドネツクアカデミックリージョナルドラマ劇場は、現在、入念に修復されている。次に取り組まれるのは、ダウンタウンにある数々の古典的な建物だ。一部の地区では、対照的な景色が目立つ。道の左側には破壊された建物があり、右側には真新しい建物がある。

港では赤、白、青のストライプが法を示している。「マリウポルはロシアだ」と。私は、2022年5月にアゾフ大隊の残存戦闘員約1,700人がロシア兵に投降したアゾフスタルの入口に行く。ベルディアンスクがいずれアゾフ海のモナコのような存在になるかもしれないのと同じように、 マリウポリもまた、観光、レジャー、文化の中心地として、そして最後には、一帯一路構想(BRI)とユーラシア経済連合(EAEUまたはEEU)の重要な海上中継基地として、明るい未来が待っているかもしれない。

イコンの謎

マリウポリから戻り、 私は戦時下の魔法が織り成す、とんでもない物語を目の当たりにした。何の変哲もない駐車場で、私は突然、イコンと対面したのだ。

このイコンは 神の母マリアで、 2014年夏、ズスロハ・スペツナズの退役軍人がドンバス全域に寄贈したものだ。言い伝えでは、イコンは自発的に没薬を生成し始めたという。現地の人々の痛みを感じたかのように、イコンが泣き出したのだ。アゾフスタルの襲撃の際、イコンは突然、どこからともなく現れ、敬虔な魂によってもたらされた。言い伝えによれば、その2時間後に、DPR軍、ロシア軍、チェチェン軍が突破口を見つけたという。

そのイコンは常にドンバスの特別軍事作戦(SMO)のホットスポットを移動している。中継を担当する人々はお互いを知っているが、イコンが次にどこに向かうかを予想することはできない。すべてがまるで不思議なミステリーツアーのように展開する。キエフがイコンを捕らえ、壊すことができる人物(特に第五列:自国内部から敵対的な行動を行う者)に巨額の報奨金をだすのも無理はない。

祈りを唱えるイゴール神父

ドンバスの人々に贈られたロシア正教会のイコン「神の母マリア」

イゴール神父が兵士たちを祝福する正教会の大隊に設置された祭壇

ドネツク西部の郊外にある屋敷での夜の集いでは、周囲の明かりが完全に消えている中で私はメッシ率いるバルセロナをこよなく愛するタフで陽気なDPRの正教部隊の上級将校の一人と、大天使ミカエル大隊(コードネーム:アルファベット)の司令官と過ごした。私たちは最前線から2キロしか離れていない第一防衛ラインにいる。絶え間なく鳴り響く大音響、特に発射音は非常に大きく、耳障りだった。

会話は、特にアヴデエフカ包囲戦における軍事戦術に及んだ。この戦闘は数日以内に完全に包囲される予定であり、今では特殊部隊や空挺部隊、多数の装甲車の支援を受けている。またタッカー・カールソンがプーチンとのインタビューで述べたことについても話題になったが、彼らの感想は「何も新しい情報はまったくなかった」だった。司令官たちはウクライナの捕虜を乗せたIl-76が攻撃されたことにキエフが全く触れないことを非難し、自国の捕虜の苦境を完全に無視していると指摘した。私は彼らになぜロシアはアヴデエフカを爆撃しないのか尋ねると、彼らは「人道主義」と答えた。

 地獄からの手作りローバー

寒い霧の朝、ドネツク中心部の秘密の場所で-、またしても頭上にドローンはなく、私は2人の神風ドローンのスペシャリスト、コードネーム「フーリガン」と彼のオブザーバー、コードネーム「レチク」に会った。彼らは神風ドローンのデモを準備した。もちろん非武装だ。一方、数メートル離れたところにいる機械技師のスペシャリスト 「Advocate」は、彼の手作り地雷運搬ローバーのデモを準備している。

これは、現在モスクワあたりで人気のヤンデックス食品配達用ローバーの公認致死バージョンである。「Advocate」は、彼の小さなおもちゃがどんな地形にも対応できる操縦性と能力があることを自慢している。そのミッションは、各ローバーは2つの地雷を装備しており、敵戦車の真下に設置する。これまでの成功は並外れたもので、ローバーはアップグレードされる予定だという。

手作り地雷運搬ローバーのテストをセットする「Advodate」

アルテョム・ガヴリレンコほどドネツクで大胆な人物はいないだろう。彼は防衛第一線の真ん中に全く新しい学校兼博物館を建設した。最前線から2キロほどしか離れていない。彼は私を博物館内を案内してくれた。それは大祖国戦争、アフガニスタンにおけるソビエト連邦の米国資金提供および武装したジハードとの戦い、そしてドンバスにおける代理戦争の連続性を示すという羨望すべき任務を遂行している。

前線からわずか2キロしか離れていないドネツクの学校/博物館にて

それはドネツク中心部にある公式の戦争博物館の手作り版だ。この博物館はシャクタール・ドネツクのサッカー・アリーナの近くにあり、大祖国戦争の素晴らしい記念品やロシアの戦争写真家による素晴らしい写真が展示されている。

だから数学、歴史、地理、言語に重点を置いているドネツクの学生たちは、ドネツクの歴史、つまり実質的には英雄的な鉱山の街であり、黒土から富を採取する一方でその夢は常に戦争によって曇らされている、ということを深く刷り込まれながら成長することになるだろう。

私たちは、ルガンスクからほど近い場所にあるルガンスク人民共和国(LPR)への国境を越えるために、裏道を使ってドネツク人民共和国(DPR)に入った。この国境はのんびりした荒涼とした国境でタジキスタンのパミール地方を思わせるもので基本的に地元の人が利用している。入国時にダゲスタン出身の旅券管理官とその副官に丁寧に尋ねられた。彼らは私のドンバス、アフガニスタン、西アジアでの旅に興味を持ち、コーカサスも訪れるよう誘ってくれた。凍てつく夜の深い中、モスクワへの長い旅路に旅立つとき、そのやり取りはかけがえのないものだった。

「いつでも歓迎するよ」。

「またもどって来るよ」。

「ターミネーターみたいにね!」。

https://www.unz.com/pescobar/life-during-wartime-on-the-road-in-donbass/